棟方志功記念館「愛染苑」

棟方志功記念館 「愛染苑」 昭和21年の暮、棟方画伯は栄町のはずれの田の中に(今ではすっかり住宅が並んでいますが)一寓を構え「鯉雨画斉」と名付けられました。そのころは画斉の窓から四辺の山々が眺望でき、前庭には田鮒の遊ぶ小川もせせらいでいました。(「北国の春」のような雰囲気だったのでしょう)

画伯はこの風光をこよなく愛し『もの皆乏しき世代に画斉を訪れる人々に無上の供応』と悦んでおられたそうです。
窓外を巡る風の動きや、庭の四季を彩る野草にまで先生の想いが通い、いつしか「愛染苑」と称ばれるよう になりました。後に谷崎潤一郎先生によって命記の筆が執られました。 昭和26年、6年間の福光滞在を終わり、東京に居を移される祈り残された、「愛染苑所以之記」は先生がこ の地に込められた想念の証しでもありましょう。 画伯は「愛染苑所以之記」にこのように書いています。 『想いゆたかにして風光さかんな美しいこの所は心おなじくする愛ふかく思い大きく染むる人たちを多く迎い送り、また待ちつづけます。愛染苑と称ぶ所以であります。文豪谷崎先生がもってそれを賛して命記の筆を執ってくれました』

昭和廿六年霜月十七日



福光には、棟方志功に深い関連がある場所がいくつもあります。福光へ疎開するきっかけになり、最初寄宿していた「光徳寺」、住宅をかまえた地「愛染苑」、志功が愛した桑山の山麓にある「福光美術館」などです。
ここ「愛染苑」では棟方志功の福光での生活が感じられるように展示


読んでみませんか・・・「祈りの人 棟方志功」

「祈りの人 棟方志功」の表紙です。鐘渓頌・彼岸の柵
  筑摩書房発行の 宇賀田達雄著「祈りの人 棟方志功」8,400円(表紙は左)の紹介をしたいと思います。

 著者の宇賀田達雄さんは、1922年(大正11年)東京の生まれ。朝日新聞の記者をしていた昭和30年10月に棟方志功の長女けよう子さんと結婚されました。

 身内の人が書いたものはどうしても身内意識が強くなりがちではないかと思いましたが、筆者は時に厳しく、時にはやさしく棟方について淡々と客観的な立場を貫いています。さすがに新聞記者O.B.です。

 文章を編年体で書いてあることがよけいにそう感じさせるのかも知れません。700ページの大作ですが、膨大な資料から書き起こされたものと見え、まさに解説付き棟方志功年譜といえます。

読みながら、年譜を作り直すつもりで抜き書きをしたので少し書いてみます。

昭和31年 1956 53歳
1月から中央公論連載の谷崎潤一郎の「鍵」の挿し絵を制作。
1月「湧然する女者達々」龍星閣。
3月13日〜22日東横百貨店にて「第5回棟方志功芸業展」。
4月1日〜30日大阪日本工芸館で「第6回日本板画院展」。
5月22日〜6月8日「第2回日本美術展」。
6月16日〜10月ヴェネツィア・ビエンナーレ展で国際版画大賞を受賞(「柳緑花紅頌」など出品)。「世界のムナカタ」の地位を確立。
11月「板画の道」刊行。
   この頃鎌倉市鎌倉山に家と土地を入手し、改造して志功のアトリエを作った。
7月11日〜17日銀座松坂屋で日本信販創立5周年記念「棟方志功青天抄板画柵展」。
7月27日〜29日岡山美術倶楽部で「棟方志功個人展覧会」。
8月「青天抄板画巻」宝文館。
「大法輪」8月号に「性根を授かる話」(鍛冶屋の仕事を手伝っていた頃の話)掲載。
9月「瞞着川」北海道豆本の会。
9月12日神戸の湊川神社の拝殿の壁画を描く。
10月「板画の肌」河出書房。
10月はじめ陸奥新報が始めた版画コンクールの審査に出かける。
10月5日〜10日東京大丸にて「棟方志功板画柵と民芸花器の会」。
10月23日〜28日日本橋白木屋にて「第7回日本板画院展」。
10月28日〜秋の第12回日展に「蒼原の柵」を出品。
10月29日〜11月4日銀座安藤七宝店で「華厳会展」。
11月「板画の道」宝文館。
11月「棟方志功」講談社アートブックス。
12月19日〜27日京橋中央公論社画廊にて「棟方志功 斎藤清近作発表会」。

ざっとこのような感じです。よくもまあ作品を制作する時間があったものです。

棟方志功についてもっとくわしく知りたい人にまたとない好著としてお薦めします。