南砺市立福光美術館
     ・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・    FuKumitsu Art Museum    ・・・・・・・・・・・・・・ 

最終更新2010.2.26

南砺市作家による全国展出品作品展 2月27日〜4月4日まで開催
「常設展示」の作品展示替えを2月23日に行いました。ぜひ御覧ください。

南砺市立福光美術館の住所は富山県南砺市法林寺2010番地です。
電話0763-52-7576 FAX0763-52-7515
棟方志功記念館 「愛染苑」の住所は富山県南砺市福光1026-4番地です。電話・FAX 0763-52-5815


リンク集
棟方志功について解説しております。
石崎光瑤、松村秀太郎などを紹介しております


福光美術館は上記三人を常設展示「約3ヶ月ごとに展示作品入替」致し年間多くの企画展や市民ギャラリー又研修室で交流を図つております。また少し離れた所に棟方志功記念館「愛染苑」、棟方志功住居「鯉雨斉」、石崎俊彦住居「青花堂」があります。その紹介もあわせて行います。
  

福光美術館の概要

交 通 案 内

transport

市民ギャラリー情報 

open gallery

美術館ショップ販売

museum shop

21年度の企画展

exhibition2010


開館 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館 火曜日・祝祭日の翌日・年末年始(12/29〜1/3まで)・展示替期
常設展だけの入館 一般 300円、高大校生 200円、小中学生 無料


両館とも企画展等含めてすべて小中学生無料です。一般観覧者や高大学生には割安な2館共通観覧券も発行致しております。両館ともに20名様以上観覧の場合は団体割引として2割引き致します。大型駐車場も完備されております。是非ご来館下さい


市ウエブサイトアドレス http://www.city.nanto.toyama.jp
美術館ウエブサイトアドレス http://fukumitsu-art.city.nanto.toyama.jp
福光美術館メールアドレス fukumitsu-museum@city.nanto.lg.jp

長かった雪の美術館。ようやく春らしくなりました。森の中の美術館を御覧になりませんか。
美術館常設展示場(2階にあります)
  当美術館は旧福光町出身で京都画壇竹内栖鳳門下の日本画家 石崎光瑤、戦禍を避けて当町に6年8ケ月間滞在した世界的版画家棟方志功、当町在住で高岡工芸高等学校教諭、彫刻家であり、陶芸家でもあった松村秀太郎の3作家の作品を常設展示しています。この常設展示の作家の作品を充実させ、鑑賞者の皆様に親しんでいただくとともに正当に評価していただけるよう配慮することが当館の使命でもありかつ新市となりました南砺市全体の文化の向上に努力し世界へと発信致したいと考えています。
棟方志功
明治36年(1903) 9月5日、青森市大字大町1丁目1番地に生まれる。
昭和11年(1936) 国画会展出品作「大和し美し」により柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司らに見出される。
昭和20年(1945) 富山県南砺市(旧福光町)に疎開。東京空襲で板木の多くを焼失する。
昭和24年(1949) 岡本かの子の詩による「女人観世音板画巻」を発表する。
昭和27年(1952) 同上作品はスイスのルガノ国際版画展で優秀賞を受ける。
昭和30年(1955) ブラジルのサンパウロビエンナーレ国際美術展で「釈迦十大弟子」が版画部門最高賞を受ける。
昭和45年(1970) 文化勲章を受章
昭和50年(1975) 9月13日、肝臓ガンのため死去。(72歳)
石崎光瑤
明治17年(1884) 4月11日、富山県南砺市(旧福光町)7355番地に生まれる。
明治36年(1903) 京都画壇の竹内栖鳳の門に入る。
大正 7年(1918) 第12回文展出品作、「熱国妍春」が特選を受ける。
大正 8年(1919) 第1回帝展出品作、「燦雨」が特選を受ける。
大正 9年(1920) 第2回帝展に無鑑査作品、「雪」を出品する。
大正11年(1922) 第4回帝展に審査員となる。(4期審査する。)
昭和 8年(1933) 高野山金剛峰寺の襖絵の依頼を受けインドへ。(2回目)
昭和11年(1936) 京都市立絵画専門学校(現京都芸大)の教授に就任。
昭和22年(1947) 3月25日、脳溢血のため死去。(63歳)
松村秀太郎
明治21年(1888) 3月10日福光新町41番地にて生まれる。父松村幸三郎(油屋・製糸業)、母ふじ、の長男として
明治34年(1901) 3月福光小学校高等科3年を卒業。
明治38年(1905) 3月富山県立高岡工芸学校(現高岡工芸高校)彫刻科卒業。
明治38年(1905) 4月東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科、本科に入学。
明治43年(1910) 3月東京美術学校彫刻科卒業。同校彫刻科塑造研究科に入る。
明治44年(1911) 5月父幸三郎没(45歳・7月)母とき没(42歳)。
明治45年(1912) 東京美術学校研修科終了。
明治45年(1912) 岐阜県土岐郡立陶器学校(現県立多治見工業高校)教師就任。
大正 4年(1915) 3月岐阜県土岐郡立陶器学校原型教師を辞任。
大正 5年(1916) 2月旧福光町YM玩具商会(現大平社)に就職。5月五島タミと結婚。
大正 6年(1917) 5月富山県立高岡工芸学校教諭就任。(昭和14年退職)
大正 6年(1917) 8月自宅庭に陶器の窯を築く。
大正13年(1924) 現皇居新宮殿中庭の「鳳凰」の原型作成。
大正14年(1925) 2月日本美術院第11回試作展「雪の朝」(木彫)入選。9月再興日本美術院第12回展「雪おろし人夫」(木彫)入選。
昭和 5年(1930) 3月聖徳太子奉賛美術展「少女」出品。第17回日本美術院展「少年裸像」(木彫)入選。同月院友に推挙される。
昭和10年(1935) 第19回院展試作展「T氏像」他、第22回院展「女の像」が入選。
昭和14年(1939) 3月富山県立工芸学校を退職。第26回院展「蝦蟇仙」(木彫)入選。
昭和16年(1941) 9月第28回院展「銀猫」(木彫)、「O氏像」石膏入選。
昭和21年(1946) 第31回院展に「五箇の少女」「裸女」(木彫)入選。
昭和27年(1952) 9月第37回日本美術院展にて「N氏夫人」奨励賞を授賞。
昭和28年(1953) 3月第8回日本美術院小品展にて「座婦」奨励賞を受賞。
昭和29年(1954) 福光町文化財保護委員に就任。
昭和30年(1955) 富山県美術振興発展の功績により知事表彰。
昭和34年(1959) 4月第14回日本美術院春季展「首習作」新設の春季展賞を受賞。日本美術院彫塑部の有志と「燦々会」を結成。第1回展(東京)出品>
昭和35年(1960) 福光町美術協会会長(初代)に就任。第45回日本美術院展最後の出品。日本美術院彫塑部解散。
昭和42年(1967) 富山県より美術工芸功労者として表彰を受ける。
昭和44年(1969) 第9回燦々会展(富山・東京)に「M子」「座婦」出品。
昭和45年(1970) 第10回燦々会展(富山・東京)「E氏像」石井鶴三から推奨を受ける。
昭和46年(1971) 第11回燦々会展(高岡・東京)に「娘」を出品。5月松村謙三氏像を作る。
昭和46年(1971) 10月17日死去。(83歳)
棟方志功記念館「愛染苑」の概要

開館 9:00 17:00  ( 入館は16:30まで
休館 火曜日・祝祭日の翌日・年末年始(12/29〜1/3まで)・展示替期
入館料 一般 300円、高大校生 200円、小中学生 無料愛染苑」と「鯉雨画斎」や「青花堂」合わせての入館料です

棟方志功記念館 「愛染苑」 昭和21年の暮、棟方画伯は栄町のはずれの田の中に(今ではすっかり住宅が並んでいますが)一寓を構え「鯉雨画斉」と名付けられました。そのころは画斉の窓から四辺の山々が眺望でき、前庭には田鮒の遊ぶ小川もせせらいでいました。(「北国の春」のような雰囲気だったのでしょう)

画伯はこの風光をこよなく愛し『もの皆乏しき世代に画斉を訪れる人々に無上の供応』と悦んでおられたそうです。
窓外を巡る風の動きや、庭の四季を彩る野草にまで先生の想いが通い、いつしか「愛染苑」と称ばれるよう になりました。後に谷崎潤一郎先生によって命記の筆が執られました。 昭和26年、6年間の福光滞在を終わり、東京に居を移される折り残された、「愛染苑所以之記」は先生がこ の地に込められた想念の証しでもありましょう。 画伯は「愛染苑所以之記」にこのように書いています。 『想いゆたかにして風光さかんな美しいこの所は心おなじくする愛ふかく思い大きく染むる人たちを多く迎い送り、また待ちつづけます。愛染苑と称ぶ所以であります。文豪谷崎先生がもってそれを賛して命記の筆を執ってくれました』


福光には、棟方志功に深い関連がある場所がいくつもあります。福光へ疎開するきっかけになり、最初寄宿していた「光徳寺」、住宅をかまえた地「愛染苑」、志功が愛した桑山の山麓にある「福光美術館」などです。

棟方の福光住居「南砺市棟方志功記念館「愛染苑」と「鯉雨画斎」や「青花堂」について
棟方は愛染苑のアトリエを鯉雨画斎と自ら名付けた。終戦直前、女医松井先生達ノ勧めによって福光に疎開していた棟方画伯が、光徳寺の「分家の家」から舟岡さんの別宅に移り住み、さらに栄町の福光小・中学校庭の南西端に新居をたてて移り住んだのは昭和21年12月であつた。家族、つまり志功画伯本人、チヤ夫人、長女けようさん、長男巴里爾さん、次女のちよゑちゃんに令明君の6人家族が住むにはやや手狭ではあつたが、志功画伯ははじめて持った自分の家にことのほか満足し、アトリエとして使用していた8畳間の板戸に書きなぐった。とも言われている。又「滝登りの鯉」「雨に打たれた鯉」に因んで「鯉雨画斎」となずけ、また「愛染苑」とも称した。こちらのほうは、画伯が富山時代に深く帰依した仏教のなかの愛染明王を、ひろく芸業の世界にたずさわる人々の守護仏ととらえ、愛染の言葉を使用したようである。愛染苑横の青花堂(棟方が石崎氏の家につけた名前です)も同時に御覧下さい。青花堂は福光時代の棟方志功の最大協力者の石崎俊彦氏(旧福光図書館長)住居跡です。現在石崎氏の収集した全国の民芸品が展示されています。

棟方志功記念館 「愛染苑」の企画について

新春展については平成22年1月4日より3月30日まで展示致します。北陸地方の正月には、天神様の掛け軸または彫刻像を飾り、お鏡餅を供える風習がある。天神様は、菅原道真公の神号で学問の神と崇められている。前田家の祖が天神様(菅原道真公)と言われ、加賀藩の紋所は剣梅鉢紋であり、菅原道真公と同様の紋であることから、北陸で天神信仰が盛んになったと言われている。本年も宜しくお願い致します。

その後 6月〜9月には瞞着川頌展、9月〜12月には青花堂展、1月〜3月には新春展を予定致しております。